* 僕は駆け出し作家 * -85ページ目
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温もり


人の優しさにふれた

暖かい気持ちをもらった

嬉しくなって

なんだか 泣きたくなった


(ボロボロと涙が零れた訳じゃないけど

「泣く」とは 涙を流すこと

なんて定義がなかったら

それは「泣いていた」になるんだろう)



目を閉じて

少し温もりの中心へ向かう

すると 次はなんだか可笑しくなった

笑顔と涙の境界線は どこにあるんだろう?

泣くことも 笑うことも
 
そんなに違わないのかもしれない



   気が付けば…
 

心の数パーセントを支配していた荷物が 

重力を失い  ふわっと 軽くなった



格好悪いかっこつけ

迷うから 怖いから
逃げていく

楽になりたいから
逃げていく

自分に酔った
プライドでもって 

そんな自分の様を 眺めている

大事なものは そうやって
するりと 掌から零れ落ちる

夢だったり 愛しい人だったり

自分の周りの大切なこと
自分の中の大切なものが
気付かない内に 壊れていく

下手な言い訳でその場を取り繕い

かっこ悪い自分を 哀れむ
一番かっこ悪い自分がいる


一体 何処へ向かうのか?

ひたすら かっこ悪いプライドで
かっこつけ

いつまで 恐怖から逃げるのか


初めから恐怖のない人なんていない

ただ そこで



怖くても 立ち向かうか 

何もしないか



ただそれだけの違い

もう 大切なもの 見失う訳にはいかない

+ 素敵な世界 +

僕らの人生 
無駄なことなんてない
そう思っていた

どんな成果も
どんな悩みも
どんな行動も
どんな失敗も

きっとどこかで何かの役に立っているんだ

そう思っていた


だけど違うのかもしれない

もっと楽観的に
深く重く 考えない



これが答え

世界のすべては
無駄で形成されている


そう 

それは なんて素敵な世界なんだろう

少年と私 ①~⑥

* 1 *


好きで始めた仕事。それは今もそう思っている。でもあの頃とは違う。いつの間にか情熱ってもんがどこかいったみたいなんだ。夢と現実とのギャップに喘ぎ、可能性を閉ざしてしまって…、つまりはやりがいを感じなくなったんだ。そして長い長い五月病が続いている。そういうこと。


「私はこの会社に必要なんだろうか?」 一度そう思うと、どんどん必要性を疑ってしまう。私が辞めても会社はまた新しい人材を雇うだろう。情熱をもった若々しいエネルギッシュな子がくるかもしれない。ただ存在するだけでも空気が和む可愛い女の子がくるのかもしれない。ただ言われた通りのことを、ただただこなしているだけの私よりいい人材はいくらでもいる。

もはやこの会社にとって、私という存在はただの代用品なんだ。そう考えだすと、前任者も私への代用品だったかもしれない。突き詰めていくと、この会社に本当に必要な人なんていないかもしれない。上司からしてそう、何もしないくせに怒ってエバって、朝の挨拶もしない。挨拶はされる奴が偉いんじゃなくて、する人が偉いんだ。こんなだから会社や社員が腐るんだ。ふん。
とにかく、ほとほと私は疲れ果てていた。いや、本当はあの事件以来、ずっと疲れていた。ごまかしていただけだ。前を向いたふりして、後ろ向きに歩いていた。ごまかしは長くは続かない。


でも、ある少年との出会いが私を変えた。私の何かがはじけたんだ。これはそんなお話(どんなお話なのよってね)。
本当は、会社にとって私が必要かどうかなんて、どうでもいいこと。関係あるけど関係ない。ただの前ふり。一応、現状を語るとこから始めただけ。まぁ、聞いて。



ある日の帰り道、私は海沿いの公園を散歩した。昔はよくココを散歩したものだけど、最近は毎日が忙しくて、そんな暇はなかった(他にもある理由はあるのだけど)。たまの休みの日にわざわざ歩こうなんて、そんな余裕も全くなかった。考えもしなかった。疲れた心と身体は一日の休みじゃとれることもなく、そのツケは日々にずんずんとのしかかってくる。結局、家でゴロゴロするのが私の休みの過ごし方になるんだ(それが余計に疲れる原因なのかもしれないけど…)。
今日ここに来た理由は分からない。ただフラリと気が付けば足が向いた。そんな感じだ。


新しく改装された道に少し気持ちを高めながら歩いていくと、灯台の向こう、海へ沈む夕焼けを見た。『今日もまた無事に一日を終えたよ』。まるでそう言っているかのように、オレンジ色の澄んだ光がこの世のすべてのものを染めあげて、波は穏やかに揺れていた。

         




* 2 *


辺りを見回すと、数人のカメラマンやエセカメラマン、初々しいカップルや人目もはばからずイチャつくバカップル、犬を連れて散歩している夫婦、そしてサックスをケースに直している少年がいた。少年というには語弊があるかもしれないが、私の歳からすると、やはり青年というよりも少年なんだ。



私は思わず少年に話しかけてしまった。というのも少年を見て昔の思い出がフラッシュバックしたんだ。
かつて、私の元カレ(一応、元とつけておく)もサックスを演奏していた。ただの趣味と言っていたけど、本当のところは分からない。素人目からじゃその実力も定かではないが、誰が聞いても、『上手い』『カッコイイ』と声をあげていた。私もカレがそう言われているのを聞いて満更でもなかった。いや、かなり気分が良かった。
カレとは五年前に別れた。それは永遠のお別れ…。どこにでもあるような車の事故で、意識不明の重体となり、すぐさま病院に担ぎこまれたけど、そのまま意識を取り戻すことなく他界した。そんなどこにでもあるような結末。でもそれが大切な人の身に襲いかかるとは、想像もつかなかった。
当然のことながら、しばらくはカレの死を理解できなかった。理解した後は整理ができなかった。整理ができたと思ったら、また理解ができなくなっていた。

何でカレが死ななきゃなんないの? 世の中には死んだ方がいいような人間なんていくらだっているのに。カレをはねたドライバーとか。。。

だけど、次第にそうやって責めるのにも疲れていった(といっても、一生許すことはないが)。

何かしようと思い、カレに伝えたかったことを紙に書いてみた。何枚も何枚も書いたけど、全部くちゃくちゃに丸めて捨てるだけだった。そうして、その紙の数だけ頭と心がパンクしていった。
結局、断ち切ることも、割りきることも、乗り越えることもできていなかった。



* 3 *


そう、私はそんな気持ちを振りきる為に、無理矢理、好きな仕事を見つけたのかもしれない。だけど、逃避の先にある夢なんて偽物はすぐに消える。ただの日々の泡。ほの暗い水面から現われて、プクっと膨れたかと思うと、すぐにパンッとはじけて消える。


あれ以来、恋愛もしていない。どうしてもする気になれない。やっぱり好きになるのが怖い。失いたくないものは、もぅつくりたくない。また…、もしかして…、そんなことが頭をよぎる、というより駆け回る。突然トラックの前に飛び出して、『僕は死にましぇん』なんて言ってくれる人もいないんだ(そんなことされても困るけど)。
カレが残したものは色褪せない想い出と、絶望的で断続的な悲しみ。ただそれだけ。そして私はそんな障害物に阻まれて、ちっとも前に進めないままでいる。




ココには、カレに連れられて何度か訪れた。沈む夕陽とカレを眺めつつ、波とサックスの音色によいしれては、ゆっくりと流れる時間を感じていた。
今思う。変わりゆく環境の中では、時を同じように感じることができないのかもしれない。あの頃みたく、ただ身をゆだねていることができる時間は、あの瞬間に用意された特別なものなんだろう
でもそのことには、みんな過ぎてから気付く。惜しいな。分かっていればもっと大切に過ごすのに。ん? だったら今もそうなのかな? いつか気付くのかな。ほら、やっぱりその時は分からない。



* 4 *


「サックスやってるの?」
少年は私が不意に話しかけたもんだから少し驚いていた。なんだか初々しくて可愛い。って、何を新入社員をいじるお局さんみたいなこと言ってんだか…。
『え? あ、あ、はい』
「もう練習は終わり?」
『はい。今日はもう…』
少年はちょっと、いや明らかに不信感をいだいてる。―あんたは一体誰なんだ―、顔にそう書いてあった。しかし、私は構わず続ける。
「そっか、残念。聞きたかったな。私サックスの音色好きなんよ」
そう言うとようやく少年の顔が明るくなった。
『あ、音いいですよね。僕も。だから始めたんです。えっと―』少年は私にスッと手の平を向け、続けた。『―やってなさるんですか?』
私は慌てて首と手を横に振る。「いやぁ、私はやってへんけど、あの…知り合いがね(初対面で死んだカレがとは言えまい)。でも良くサックス奏者のCDを聞いてたよ。えっと―」私のカレはある海外の演奏者に影響を受けてサックスを始めた。もちろん部屋でよく一緒に聞いた。名前は、えっと確か…そう、「―マイケル・ブレッカーって人やったかな、知ってる?」
「あーー」少年は勢いよく首を縦に振った。『もちろん知ってますよ! へぇー詳しいんですね。でも・・・彼って亡くなりましたよね。ホンマ惜しい人を…』
私は一瞬、何故この少年がカレの死を知ってるの? なんて思ってしまう。バカだ。アホだ。
「そう…なん? 最近あんまり聞いてなかったから知らんかったわぁ。いつのこと?」

『最近ですよ。白血病で。その前も闘病生活でしたしね』

「そっか、そうなんや」ブレッカーの曲はあの時以来聞いていない。なぜなら・・・って言わなくても分かるか。

「君も、ブレッカーに影響受けてはじめたとか?」私は自然と死のテーマを反らす。
『僕はブレッカーちゃいますよ。彼のことはだいぶ後から知ったんです』
「じゃあ武田鉄矢とか?」
『それ真治でしょ。鉄矢て、僕は死にましぇ~んの人でしょ』彼は少しおどけて笑った。
私もアホな勘違いしたなと笑う。「あ、そっか、あはは。ごめんごめん。でも若いのによー知ってるなぁ」
『物真似とかでよく見たし、再放送もよくやってますからね。真治でも鉄也でもないですよ』
少年は何かを思い出すように空を見上げ続けた。『ここでね、この場所で聴いたんですよ』
え? 私は胸がざわついた。



* 5 *


「ここって―」私は人差し指を立て、そのまま下に指す。「―ココ?」
もしかして少年はカレの演奏を聴いたの? なら、影響を与えたのはカレってこと?
『そうっす。ココで。衝撃っていうのか、かっこええなーって思って』
私はえもいえない気持ちになって鳥肌がたった。カレ意外にココで演奏した人は見たことがない。きっとカレだ。そんな悲劇的で衝撃的で感動的な巡り合わせなんてあるの?
私のざわつきなんて知るよしもない少年は、思い出にひたるような顔を見せている。そんなドラマチックな話って…、そんな事が現実にあるの? 

少年はスッと私に顔を向け続けた。

『えっと、確か2、3年くらい前なんですけどね』
なかった…。全然違った。カレの死後のことだ。思わず少年に、鳥肌を返してよと言いたくなる。
『ここで演奏してるの見て。めっちゃかっこよくて。僕もやりたくなって、でもそんなん買う金もなくて。だから学校に内緒で必死でお金貯めて』少年はヨシヨシとケースを撫でながら言った。『最近やっと買えたんですよ』
そりゃそうだ。カレが演奏していたのは、5年以上も前の話だ。いつまでも捕らわれすぎだ。カレ以外にもここで演奏する人がいても不思議ではない。この少年がそうであるように…。ふぅ、そりゃそうだ。

私は少年に気付かれないように小さく息を吐いた。
そこで少年は何かを思いついたのか、『あ、そうや』と小さく言うと、子犬のような瞳で私を見た。私はそこに吸い込まれそうになる。「ん、ん? なになに?」
『よかったら、一曲聞いてもらえないですか? まだ下手くそやし誰かに聞かせるレベルじゃないですけど』

あ、なんだそういうことか。情けない、ちょっと動揺してしまったじゃないか(さっきとは違う意味で)。私って案外単純なのかもしれない。
「聞かせるレベルじゃない~? でも周りにいっぱい人いるやん。ほら。ホラホラ」私は両手を広げ、辺りのカップルやカメラマンを指す。
『いや、そうなんですけどね。誰かに対して演奏するとなると、また違うんですよ』
「ふふ、そうやんね」そう、かつてカレも言っていた。私はニコッと口元を緩める。「いいよ、聞かせて」
『ありがとうございます! ちょっと待って下さいね。すぐ用意するんで』
なんだか可愛いな。夢のある若い子って純粋だな。
『あー、なんかめっちゃ緊張してきました』
「あかんあかん。いつかもっと沢山の人前でやるんやろー?」
『そうっすね。そうっす、そうっす』少年は自分自身を納得させるようにブンブンと首を縦に振った。





続く…

* 6 *


少年はフッと短い息を吐く。精神を集中させ、息を吸い込む。緊張感がこちらにまで伝わる。
私は、音楽が始まる瞬間の、この空気が大好きだ。見ている人、聴いている人、そして演奏者のいる空間だけが外界から切り取られる。その小さな世界はとても居心地がいい。うーん、たとえ下手くそでも…。
私が心のどこかで期待していたからかもしれないが、とても人に聴かせるレベルではなかった。音がはずれる、詰まる、かすれて情けない音がもれる。その瞬間バカップルが手をたたいて笑う。私は自分自身も笑われてるようで少し恥ずかしくなる。散歩している夫婦は呆れたように首を横に振る。カメラマンは少年のシルエットを撮影すべく、夕日と少年の直前上を陣取る。
プッフゥと音がもれる、ギャハハとカップルが笑う、カシャカシャとシャッターがきれる。
そんな中でも、少年はたじろきもせず、恥じらいもなく、むしろ「俺を見てみろよ」という表情で演奏していた。真っ直ぐな瞳が夕焼けに照らされてキラキラと輝いていた。私は恥ずかしくなった。こんな素敵な少年と仲間だと思われることを恥じたことを、恥じた。
荒削りだが光るものがある、だなんて言えないが、少年がいつか夢見る舞台で演奏しているシーンが容易に想像できた。
聴いたことのない一つの曲が終わると、少年は空を見上げ、ふいに何かつぶやいた。読唇術など私にはないが、何か同意を求めてるようだった。―いいやろ? いいよな?
そしてお辞儀をするように深く頷いたかと思うと、こちらをチラッと見てもう一曲』と指を一本たてる。
なんだなんだ、それを言うのを迷っていたのか。そう思うとなんだか可笑しい。私は口の動きで「い・い・よ」と伝える。
少年も同じように『ど・う・も』と言い、一度だけ笑顔を見せると、スッと表情を戻した。ふぅー長い息を吐き、すーっと静かに吸い込む。
次の曲が始まる。


そう。その時、少年を見つめていた私の笑顔はふいに硬直したんだ。
あの日のことがフラッシュバックする。



続く…

豊風と僕~その①~⑤

『豊風と僕』


* 1 *


「…五年後や」
僕は男がそう言うのをおぼろげに聞いていた。
長い眠りから、ようやく覚めた気分だった。頭がぼーーっとしている。そんな感覚さえ懐かしいほどの長く深い眠りだったように感じる
ん? なんやったっけ? 俺は何してたんやっけ? いくら考えども何も思い出せない。ほんの一秒前に自分がなにを考えていたのかさえ、思い出せない。
えっと…とりあえず何を考えたらいいんや? 思考が定まらない。
「おいおい、聞いてんか?」
男はさきほどより幾分口調を強めて、おそらく僕に対し、言った。
僕はぼんやりしたまま男を見る。んっと…そもそもこいつは誰や? あかん。なーんも分からん。寝よ。
男は僕の様子を伺うと、わざとらしいくらいの大きなため息をつき、僕の目の前で手を広げ、そのまま左右にブンブン振りながら言った。「おーい。もう、めぇ覚めてんやろー! あっさでっすよー」
寝起きの悪い僕にとって、目覚め一発目に最も的さない男だった。だが、お陰で先ほどまでグルグルしていた考えが一つのとこに落ち着いた。とりあえず、こいつは誰なのか。
その考えはそのまま口から飛びだした。『自分、誰やねん?(注:大阪では相手のことを、自分と呼ぶ場合がある)』
男はがっくりといった表情で、「またかいな」と肩をすくめた。
『また?』ますます意味が分からない。
男は、レンズの大きい黒のサングラスをかけ、白いTシャツにジーンズという、数十年前に流行ったような恰好をしていた。なんというか、つまり尾崎豊風だ。吉田栄作風だ。山根康弘風だ。新加勢大周…ってもういいか。足元はというと、なぜか靴は履いておらず、白いソックス姿だ。外なのに。。
ん? 外? へっ? なんで俺は外で寝てんや?
豊風の男は小さく二度頷くと、「よっしゃ分かった。はじめから話したるから、よー聞いとけよ」と僕を指した。


これが僕の第二の人生の始まり…の、少し前の出来事だった。


* 2 *


「とりあえずそやな、分かり易いように結論からいこか。まずな、お前はもうこっち側の世界にきてもうてん」豊風はこっちこっちと大袈裟に両手を振った。

「分かるな?」
僕が『全っ然分からん』と言うと、豊風は「どうせそう言う思たわ」と勝ち誇った顔をする。なんだか腹立たしい。
「よっしゃ、ほなもっと分かり易く言うたる」
僕ははじめからそうしろよと思う。
「要はな、死んだんや。お前は」
『死んだ?』
「そや。よー思い出してみぃや」
『はぁ!? 何を言うてんねんな。じゃあここにおる俺はどっから…』そこで僕はハッとする。
「おっ、思い出したか」
『あっ、いや…』そう言えば、僕はさっき車に跳ねられて。そして…どうなったんだ?
「そんで死んでもうたんや」豊風は僕の心を見透かしたように言う。
「でもな、死んだ言うてもただこっち側に来ただけや、みんな―」僕は豊風の言葉を遮る。『死んだって、あの事故で?』
「まだ言うてんかいな、話進まんがな。そやそや、その事故でや。病院運ばれたけど、そのままお陀仏や。まぁどうせそんな感じやろ」
『そんな感じって…。ていうか、そもそもはじめから気になってたけど、自分なにもんや?』
「俺の自己紹介は今度でええやろ。まぁな、言うてしまえば、あっち側と向こう側をこっち側で繋ぐ役目や。俺は素行の悪い奴やったからようさん繋がな向こういかれへん」
あっち? こっち? 繋ぐ? 何言ってんだ? 混乱する僕を構わず豊風は続ける。「お前が死んだ理由は知らへん。でもな、向こう側行く前に一回だけあっちに戻れるんや。なんかやり残したことあるか?」

これは夢か? 僕はさっき跳ねられて、気を失って、いま夢を見ている。

『なんや、夢か』
「はいベター。お前ベッタベター」豊風は鋭く僕を指差す。
「まぁはじめはそう思うわ。俺も思たもん。でもな、永遠にその夢…覚めへんで。まぁ、しばらくほっといたるわ。いつか分かるわ。でも別に悲しまんでええからな、向こう側行ったらまた始まるから」
『始まるって何が?』
「いわゆる第二の人生ってやつや」豊風はイェーイと親指をたて、僕の肩を叩くと、その勢いで空高くにフワリと舞い上がった。
『えっ、ちょっ―』
豊風は驚き眼の僕を尻目に「ほなまた来るわ」と言い残し、そのまま空の彼方へ消えていった。
『えぇ…、どうなってるんよ?』
僕は何も理解出来ず、ただただ呆然としたまま、果てしなく広がる空をずっと見ていることくらいしか出来なかった。
死んだ? 俺が? なんで? まさか。




* 3 *



青い空は、徐々に赤紫色に染まっていった。夕暮れはアスファルトに細長い影をおとす。たったひとつ、僕を除いて。
そう、僕は死んだ。それを理解したのは案外早かったのかもしれない。なんて勝ち誇っても仕方のないことだけど、僕が今の豊風みたく、繋ぎの役目をした時は、死を理解出来ない奴らばっかでうんざりさせられた。と、その話は今はおいといて。


豊風が去った後、しばらく呆然と立ち尽くしていた僕は、目の前を通る女性を見つけ、呼びとめた。何か言おうと考えてた訳ではない。ただ咄嗟に身体が反応した。僕はよっぽど焦っていたんだろう。自分の行動に気付かされた。
『あの、すいません』
「・・・・」女性は僕を無視する。そこに違和感があった。例えナンパだろうと、どれだけ怪しい人だろうと、一度くらいこちらを見るだろう。でもその女性は一度もこちらを見ないどころか、眉をピクリとも動かさず、何度呼びかけてもただ前を見て、何事もなかったかのように歩き去ったんだ。
何かの罰ゲームか? なんて考えるが、それも違うことに気付いていた。なんせ、最後の記憶は車に跳ねられた部分だったからだ。その後がない。それが拭いされない。
現実感はないものも、夢とも思えないこの世界では、罰ゲームよりも僕が死んだという考えの方がむしろ現実味があった。


そう、あれは信号のない所だった。確か道路を挟んで向こう側。とある雑貨屋のショーウィンドウに、彼女の探していた鞄を発見したんだ。たかがそんなことで舞い上がり、僕は確認もせず道路にとびだした。あまり車の通らない道だったとはいえ、なんて間抜けな話だろう。ボールを追いかけるガキんちょじゃあるまいし。
車のブレーキの音がして咄嗟に右を向くと、ほんの数メートル先、猛然と向かってくるトラックが見えた。『あっ、やばいかも!』と思ったその瞬間から、すべてがスローモーションになる。僕はトラックを避けようとするけど、水の中に沈んでいるかのように身体が重たく、思うように動かない。運転席を見上げるとドライバーの驚きひきつる顔がはっきりと見えた。『こりゃアカン』と思った矢先、
キキキキ…ドーン―

とブレーキのけたたましい音に負けないくらいの衝突音が響く。途端、時間は元の早さを取り戻す。スローモーションで溜めた分だけ、衝撃も倍増されたような気がした。僕の身体はフワリと空中に放り出され、そのままガードレールに頭からぶつかった。バッティングセンターで聞こえる、カーンとかキーンといった具合の心地よい快音が頭に響いた(他の人にはどう聞こえたか分からないが)。
そして風呂につかるような温かさが訪れたかと思うと、すかさず震えるような寒さがやってきた。高熱で寝込んでいく様を驚異的な早さで体験しているようだった。
薄れる意識の中、家族や彼女のことが頭を横切り、最後には『俺が武田鉄矢やったらトラックは寸でのとこで止まったんかな?』なんてくだらないことを考えていた。あぁ、ほんとくだらない。だけど、それが生きている内の最期の記憶なんだ。


そして、気が付けば豊風が前にいた。


そういやその時に、何かブツブツ言っていたな。
確か…そう。『五年後や』…とか。
ん? 五年後? なんのこっちゃ。


* 4 *


夜が明け再び街に光が差す。夕焼け・街灯・朝焼けが同じように僕を照らすけど、やっぱり影は落ちなかった。
一晩、その場を全く動かないでいた僕だが、ようやく思い立ち、とりあえず事故現場に行ってみることにした。

眠いという感覚はなかった。怖いという感情もなかった。ただなんとなく歩きたいと思い、どうせなら自分が死んだ場所にでも行こうと思ったんだ。


とぼとぼ歩き続けると、丁度事故の現場へ続く道にある公園にさしかかった。そんなに広くはないが中央が丘のようになっていて、子供の頃はそこから見える景色を少し誇らしげに眺めていたのを思い出す。

僕はそこへ向かう木で作られた階段にさしかかる。見上げると、丘の先には昨日と変わらず青く澄みわたる空が見えた。足が止まる。そこに果てしなく広がる空はただただ広く、死んでしまったことさえなんだかちっぽけに思えた。あぁ、こんな風にぼんやりと空を見上げたのはいつ以来だろうか。たまにはいいもんだなと思う。今更かもしれないけど。
そろそろ行こうかなと、足を踏み出そうとした時、ふいに何かが横切るのが見えた。ん、なんだあれは? 僕は目を凝らす。鳥? 飛行機? いや、人間だ。女の人だ。しかも、服を着ていない。なんとまぁ、裸の女性が空を飛んでいるではないか。あの色合い…、うん。確かに裸だ。いや、肌色の服を着ているだけかな? ていうかそれ以前に空飛んでるし。どうなってんの?
女性はこちらには気付かず、フワリフワリ空の海を漂い、そのまま太陽の光と重なり、消えていった。僕はそれを唖然と見ていた。顔は確認できないが、スラッとした若い女性だ。しかも裸…。ラッキーっていやいやいやいや、なんだそりゃ。どんだけ冷静な感想言ってんだ。空を飛んでいるんだぞ。もうなんか色々無茶苦茶だな。はは、もう笑うしかない。フフフ。僕は何だかとてつもなくおかしくって、どうせ誰にも聞こえないのをいいことに大声をあげて笑う。フハハハハヒフハハハアハハ―。
とその時、「どや、すごいやろ」突然後ろから男の声がする。僕は慌てて振り返る。豊風だ。
あ、そうだった。こいつには聞こえるんだ。
「アンラッキーってやつやな。あの女、はよー向こう側いきたいやろうな。あっ、でも羞恥心ないからそんなん思わんか」豊風は嘲笑うかのように裸の女性の行く先を眺めると、スッと僕に目を向け、「どや、理解したか?」と言った。
理解って何をだ? 『裸を?』
「アホか! このド変態! 死や。お前が死んだっちゅーことや」

『あぁ、なんやそれか。死んだんやな、俺は。なんとなく分かるよ』僕はあっさり答える。
「そういうこっちゃ。案外早かったな、上出来や」豊風はポンと僕の肩を叩く。
『で、なんで裸? しかも空飛んでたし。そういや昨日、自分も飛んでいってたし。説明してちょうだいや』
「また裸のことかいな。まぁ順番に説明したるから。ところで、お前はどこ行こうとしてたんや?」
『事故現場や。俺はトラックに跳ねられたん。そこに行ってみようかと』
「なるほどな。なるほどなるほど、分かりやすい!!」豊風はビッと僕を指差し続ける。「よっしゃ、じゃあそこ向かいながら話たるわ」
『そうしてや。じゃあとりあえずさっきの裸の―』
「またそれかい! それは後や後。はい行った行った」
豊風は僕を促した。


それにしても、何で僕はこんな冷静なんだろうか? 死んだというのに。目の前には数十年前に流行ったようなイデタチの、靴も履いてない白いソックス姿の変な奴がいるというのに。

しかも、僕はすでにこの世界を生きようとしてる。生きるという表現もおかしいんだろうけど。。。


* 5 *


「まずな、なんで裸か? ってことや」
『あれ? 裸は後回しちゃうん?』
「まぁ、それも含めて話すんやないか。あの女が裸なんと、俺が靴を履いてないのはおんなじ理由や。分かるか?」
『だからそれが分からんから聞いてるんやん』
「わーーかってるがな。まぁそう焦るなよ。そやな、とりあえずお前。空飛んでみーや」そう言って、豊風はフワッと足を浮かせる。
『出来るかいな、そんなこと』僕はかぶりを振る。
「それが出来るんや。お前はまだ―俺は死んでない―ってどっかで思ってんちゃうか? ええか、死んだらもう現実じゃなくなるんや。現実のものは触られへん。現実世界の奴には声は届かへん。鏡には自分の姿が写らへん」
『影もない』
「そういうことや。なんや分かってるやないか。だから、生きてた頃と同じ考えじゃあかん。切り換えなあきまへん。でもな、もうお前はそうなってるはずや。この今オレらのおる―間の世界―では感情ってやつが薄れるんや。さっきの女も羞恥心が薄れてるんや。だから堂々としてたやろ。他にも怒りや焦りや悲しみ、そういう余分なもんはなくなるんや。そうせなこの世界でも争いが起こってまうからな」
『そういえば、さっきからやけに冷静になる時があるわ』
「やろ。だからお前が感じるマイナスの感情は、思い出して作り出してるだけやねん。ほんまは焦ってないねん。焦らなあかん、驚かなあかんってって勝手に思ってるだけや」
『あ、でも昨日、自分怒ってなかった? 俺が話聞いてなかったからって』
「あれはノリや」豊風はフフンと鼻を鳴らす。「なんちゅうかな、この世界は暇やねん。俺は現実世界で悪さしたから、お前みたいな奴らをぎょうさん連れていかなあかんねん。だからもう15年以上はここにおるんちゃうかな。もうな、なんしか暇なんや。だから怒ってみたりして遊んでるんや。むっちゃおもろいやろ?」
僕は首をかしげる。『よ~分からんけど…』暇って感情が残っていることは分かった。



そうこう言っている内に、事故現場が見えてきた。空を飛べない僕は、小走りで近づく。そこでふと疑問が浮かぶ。
『あれ?』
「どしてん? ここやのうたか?(ここじゃなかったか)」
『いや、そうじゃなくて。現実世界のものには触れられへんって言わんかった?』
「言うたけど、それがなんや?」
僕は地面を差す。『じゃあ今、駆けてきたこの地面は、現実世界のものじゃないってこと?』
豊風は待ってましたよという顔をする。「だからそれが―まだ俺は死んでないかも―ってどっかで思っとる、いい例やな。それもお前の想像や。いや想造か。とどのつまり、お前はまだ現実世界の感覚でおる訳や。地面を歩いてるつもりや。でもそれはしゃーないかもな。生きとる時に一番経験してる感覚なんやから。それはなかなか抜けへん。自然に出来てしまう。俺かてそうやもん。でもそう思ってるから空を飛ばれへんねんっていうのはあるわな。今の世界は不自然で成り立ってるって理解せんとな。つまり、こういうこっちゃ―」

豊風はそう言うと、地面にずぶずぶと頭を埋めていった。「こんなんも出来るんやで。どや!? めっさおもろいやろ!?」
なるほどね、今度のはなかなか面白い。

僕は映画の《ゴースト》を思い出す。主役のサムも普通に地面を歩いていたか。そういやあの中で…、『じゃあ逆にもっと強い感覚をもてば、人や物に触れたりできんかな? 生きている人間に声を届けたり出来んかな?』サムはコインなどの物体に触れる能力を身に着けていたし、霊媒師役のウーピー・ゴールドバーグと話もしていた。まぁ映画の中の話だけど。
豊風は意表をつかれたのか、返答に困っていた。「いやっそれはお前、あれやろ―」首を左右にかしげる。これも困っている演技だろうか? 僕には分からないけど。
「うーん」と、しばらくうねっていた豊風が、ようやくひねりだした答えはこうだ。「―お前って…案外ロマンチックやな、ははっ」
笑って誤魔化しやがった。こいつ…、もしやただのアホ? 僕は密かにそう思う。

あれ? でもこれってマイナスの感情ではないのかな? それともこの地域ではアホは褒め言葉ってことか?

うーむ。分からん。一体、僕にはどれくらいの感情が残ってるんだろう。。

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